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平安貴族の女性の実態、雑学 [へ~と思うこと]

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現在の日本で暮らしていても、所得格差はあるが身分の格差はあまり意識はされません。

弁護士や医者、教授など地位の高い職はありますが、個人の努力で手に入る点貴族とは違います。


日本における貴族の歴史

ヤマト王権期の豪族層に由来する古代貴族がまず形成される。

平安時代前期には従来の古代貴族に代わって藤原氏・源氏が上流貴族層を占めていった

中世前期にこれらを母体とする公家層が形成された。
公家層は、中世後期以降、経済的実権と政治的実権を喪失しつつも、明治維新期まで存続した。

華族制度
江戸時代の公家や大名、明治維新の功労者の流れをくむ家で、「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の5階に分かれ、日本の政界・財界を牛耳っていく。

太平洋戦争での敗戦に伴い華族制度は廃止され、日本の貴族は消滅した(ただし、皇族は除く)。



平安貴族の女性の実態

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平安時代の貴族の入浴はすごい大変?

平安時代の人はめったにお風呂に入らなかったので、
匂い消しのために香を焚き染めていたそうです。



平安貴族の毛皮ブーム

平安京の貴族たちは豹や虎、ヒグマなどの毛皮をファッションとしてまとい、ステータスシンボルでもありました。
7世紀末に建国され、中国東北部に「渤海」という日本と友好的な国があり、交易品を貿易してそこから毛皮を仕入れてたのです。
だが、あまりのブームに、朝廷は、しばしば毛皮禁止令を出したほどだった。


貴族女性の最大の娯楽・男目当ての法会聴聞

経典の講義を受けるとても地味なイベントですが、女性に癒しをもたらす大きな娯楽です。
なぜかと言うと、男性と女性が直接、顔を合わすことは慎まれていた中、女性は牛車の内から、参会の僧侶や殿上人の風雅を目にすることが出来たのである。
つまり「目の保養」が出来たのです。
今でいうジャニーズのコンサートに行く感覚なんでしょうね。



着るのも脱ぐのも歩くのも大変、十二単(じゅうにひとえ)

十二単とは、平安時代の10世紀から始まる女性用の装束である。
上から唐衣(とうい)・上着・うちぎ・こうちぎ・あこめ・帷子(かたびら)・小袖を重ね着しますが、このうち「うちぎ」「こうちぎ」「あこめ」はそれぞれ六枚も着ます。
『栄花物語』には当時の女房が工夫を凝らしたさまが詳述されている。ある女房は重ねに凝り、通常よりも多く20枚以上の衣を重ねたが衣の重さのために歩けなくなったとある。

十二単は20kg程あります。厚みも10センチくらいになるので、夏場は地獄ですね。





平安時代の美人の条件

平安時代美人の条件は、黒くて長い髪と極端な色白化粧です。
顔の作りや体のスタイルは関係ないのです。
しいていうならば口元に愛嬌があって、声がよければいいとのこと。
当時の女性は圧化粧で真っ白に顔を塗ってましたので、顔に大差はありません。
女性が男性に顔を見せることは結婚を許すことでもあったため、扇で顔を隠していました。
また十二単を着ているのでスタイルはあまり関係ないとされていました。


ですので、この時代、最大のモテる条件は長い髪でした。
中には髪の長さが6mや7mもある人がいたようです。

髪の薄いひとは行き倒れた女性の髪を売っている商人から買っていたらしです!



貴族の女性が顔を扇で隠す理由

扇で顔を隠していないと恥とされていました。
当時の化粧道具である白粉は非常に崩れやすく、塗ってからしばらく経つとひび割れが起きますので、それを隠すために扇は必需品です。
どうして、そこまでして白粉を塗るのかというと、当時の照明は部屋に燭台一つが普通でしたので、顔が暗くて見えません。でも白粉を塗っていれば、それが見えます。
それより一番の理由は色白が美人の条件だったからです。
だがひび割れた白粉を人に見せるわけにはいかないですよね。
すぐに顔を隠せるために扇は必需品なのです。










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